洟垂れ小僧
「遅いな、メルド。探しに行った方がいいんじゃないか」
ダンジョン最奥部。黙って待っていたセイシロウが、ロッツを促す。
「……たしかに。いくらなんでも遅すぎるな」
ロッツは、メルドが大便を我慢していることに気づいていた。だから用を済ましたらすぐに戻ってくると思っていたのだが、いつまで待ってもメルドもラピスもやって来ない。
「まさか、トラップに引っかかったのか……」
ダンジョン内で大便をする……。馬鹿馬鹿しいが、それが条件なのかもしれない。よく考えれば非常識極まりない行為だ。
「来い、セイシロウ。助けにいくぞ」
「ああ、わかった」
まさかこんな初心者用ダンジョンで命を落とすことはないだろうが、前例がないだけに不安ではある。自分のチームから死者など出したら、退学処分もありえる。なにより騎士として、仲間を見捨てるわけにはいかない。
引き返すうち、異臭に気づいた。正確には、便臭だ。
「うっ……くさいな」
セイシロウが鼻をつまむ。
ロッツはすぐにピンと来た。メルドだ。
「こっちだ。油断するなよ」
臭いを頼りに奥へ進むと、開けた広間へ出た。
その中央に、2体の石像が佇んでいる。
セイシロウと顔を見合わせ、ゆっくりと近づいていく。
1体は小便小僧だ。よくある白っぽい石の像で、溜池にジョボジョボと放尿している。
もう1体は……大便小僧とでもいうのか。しゃがみこんで、糞をしているらしい。石質は同じだろうが、こちらは随分と苔むしている。
悪臭の源は明らかに、その小便と大便だ。つまり、それらは作り物ではなく、本物の糞尿。ということは、小僧たちも、本物の……。
嫌な予感がロッツを襲う。すぐ傍までたどり着き、恐る恐る2体の顔を観察してみる。
「う、うわあぁーーっ!!?」
ロッツが悲鳴を上げた。
思った通り、その像は、変わり果てたラピスとメルドだったのだ。
「そ、そんな、さっきまで元気だったのに……こ、こんな、こんな姿に」
「お、おい、しっかりしろ!」
セイシロウの叱咤も耳に入らない。ラピスとメルドの姿は、それほど衝撃的だったのだ。
『あっははー、そんじゃ、後でなー!』
笑顔で走って行ったラピス。いけすかないお調子者だが、腕は確かで、整った顔立ちから校外の女子にも人気だった。
そのラピスは今や、呆けた顔で鼻をほじり、じょろじょろ尿を垂らしている。
『まぁまぁ。遠足と思って、気楽に行こうよ。ねっ』
明るく優しく、ムードメーカーだったメルド。純真で、心優しい美少年。
そんなメルドが、下品な笑顔で糞をひり出している。その量と臭いは、グロテスクですらあった。
「お、お゛ええ゛ぇーーっ!」
よろめいたロッツは、尿の海と化した溜池に向かって嘔吐した。
あまりにもひどい仲間の姿。生きているのかどうかもわからない。
「お、おいっ、大丈夫か」
セイシロウが駆け寄って背中をさする。
「はぁ、はぁ、す、すまない。みっともないところを……はっ!?」
「お、おい、どうした?ロッツ?」
少し落ち着き始めたところで、何かに気づいてガタガタと震えだす。ロッツの鼻を、悪臭が刺激していた。大小便の臭いに、自分の吐瀉物の臭いが混ざっている。
「し、しまった……!お、俺も、俺も石になってしまう!?」
ラピスは小便をしたこと、メルドは大便をしたことで石化した。それは状況からして明らかだ。それなら、嘔吐することも石化の条件かもしれない。
再び2体の石像に目をやる。ぽかんとしたラピスに、にんまりしたメルド。表情は違えど、一瞬で石化してしまったことがわかる。抵抗する間もなく、物言わぬ石の塊に変わり果てたのだ。二人の生気のない瞳が、ロッツの恐怖を煽る。
「い、いやだ!いやだぁーーっ!あ、あんな、あんな姿になりたくないぃ!」
突然、ロッツが大声を上げた。立ち上がろうとして足がもつれ、ラピスの尿が溜まった溜池へ頭から突っ込んだ。
「ぶはぁっ!はぁっ!はぁっ!くさ、くさい!嫌だ!俺は、小便小僧になんてなりたくない!たすけ、助けてくれぇ!」
「お、おい!落ち着け、ロッツ!お前らしくないぞ!」
美しいブロンドの髪がラピスの小便でベトベトに汚れている。ロッツは髪を気にする余裕もなく、四つん這いで池から逃れて喚き散らした。セイシロウの静止も耳に入っていない。
これまで敗北を知らずに生きてきたエリートだけに、初めて直面した死の恐怖に、完全に錯乱してまってる。取り落とした高そうなレイピアが、小便の池に沈んだ。
「い、いやだぁ!助けてくれ!死にたくない!俺はまだ、死にたくないぃ!許して、許してくださいぃ!ひぃ、ひいぃーっ!」
「し、しっかりしろ、ロッツ!」
セイシロウはロッツの肩を揺さぶって正気に戻そうとしたが、小便まみれの体に触ることに躊躇してしまう。その間に、ロッツは2体の石像の向かいまで這い進み、そこで号泣し始めた。
「ひぃ、ひぃっ!死にたくない!死にたくないんですぅ!ずびっ!ゆるして、ゆるしてえっ!ずるるっ!」
そのまま両手を前に揃え、頭を床にこすり付ける。意図してか知らずか、2体の石像に向かって土下座をする格好になっていた。迫りくる罠の発動に怯え、見えない相手に向かって土下座で許しを請う。見えないからこそ、偶像として罠の犠牲者である大小便小僧に訴えかけたのだろう。
「ど、どうかぁ!俺だけでも、見逃してくらじゃいぃっ!じゅるっ、ずびびっ!」
「……うわっ」
土下座のまま頭を上げるロッツ。その顔を見て、セイシロウは思わず引いてしまった。
冷静で厳格、そして涼しげで秀麗だったあのロッツの顔が、鼻水と涙、さらに涎や吐瀉物、汗、ラピスの小便でグチャグチャに汚れきっていたのだ。
特に高い鼻の両穴から、太く長い鼻水がブラブラ垂れ下がって伸び縮みする様は、悲壮を通り越して間抜けだった。
(うげっ!オレに馬鹿だ馬鹿だと言っといて、お前の方が馬鹿丸出しじゃねえか!洟垂れ野郎!)
(ひ、ひどい……。ロッツくんがあんな汚い顔を晒すなんて……)
小便と大便を撒き散らすアホ面の石像たちにすら軽蔑される。
「ロッツ……お前……なんて、無様なんだ……はあっ……」
セイシロウの様子は少しおかしかった。ロッツの情けない姿に顔を赤らめ、興奮気味に息を吐いている。
ロッツには周りを気にする余裕もない。
「やら、やらぁ……石になんか、なりたくにゃ……」
シャーッ……。
大粒の涙と鼻水を零して懇願するロッツ。その足元から、生暖かい尿が漏れ出て、床に広がっていく。恐怖で失禁したのだ。
その瞬間だった。
「ひい゛ぃ゛っ!?」
ひきつった短い叫びを飲むようにバキバキという硬質な音が走り、ロッツは土下座で顔だけを上げた格好のまま、物言わぬ石像に成り果ててしまった。目は大きく見開かれ、液体まみれの顔は恐怖に歪んでいる。
「そ、そんな。ロッツ……」
セイシロウが目の前で石になってしまった友人に歩み寄り、その顔を撫でる。冷たく固い、石の触感だった。ただ、体液はそのままだったので、顔中にこびりついた涎と吐瀉物、涙に汗、鼻水、ついでにラピスの尿まで混ざった汚液が、セイシロウの手を汚した。
その手を見つめて立ち尽くすセイシロウ。小便小僧と大便小僧の排泄音がむなしく響く。
実のところ、嘔吐はトラップの条件ではなかった。
「ダンジョン内で鼻水を垂らし、土下座で命乞いをして失禁する」―――。冒険者としてあるまじき、この情けない行為こそが石化のトリガーだったのだ。モンスターもいないダンジョンでこんな特殊すぎるトラップに引っかかる者など、後にも先にもロッツただ1人だろう。
(ぎゃあああああっ!い、石に!体が石にぃ!も、もうだめだ!死ぬ!死んでるぅ!ずびびっ!死んでるのに、鼻水が止まらないぃ!ひいぃーっ!!)
ラピスとメルドが排泄の快感をひたすら与えられているのに対し、ロッツにもたらされるのは死の恐怖。それから、鼻の違和感。
この罠で石化したものは、鼻水が止まらなくなるのだ。ロッツの鼻水は粘着質だったので、見た目も滑稽だ。おまけに失禁跡の上に土下座しているので、惨めさが際立っている。
こうして、小便小僧と大便小僧の向かいには、洟垂れ小僧の石像が出来上がった。