第1話 マヌカンピスの戦い - 2/3

目が覚めたとき、ルスランは敵陣にいた。

「どういう……ことだ」

縛られているわけでもないのに、体が思うように動かない。脱いだはずの鎧を着込んで、深々と平伏していた。

「面を上げよ」

自らの意思によらず、床に手をついたまま顔が上がる。

「おはよう、ルスラン将軍」
「無様な姿だな、ルスラン」

頭上に同じ顔が2つ、並んでいた。床几に腰掛ける二人の青年。星辰同盟に加わる「旱(かん)」の国の双子の将軍、呉麗(ごれい)と呉刻(ごこく)だった。歳はルスランよりも下だが、爽やかな笑顔を浮かべる兄の呉麗は旱随一の智将として、さも嬉しそうにルスランを見下ろす弟の呉刻は天下に名高い剣士として、帝国にまで名が知れている。

「俺に何をした」

事態を飲み込めないルスランだが、その顔に恐れはない。あるのは怒りと敵意だけだ。その様子を見て呉麗がくすりと笑った。呉刻は少年のようにカラカラと笑う。

「勝負は決まったんだよ、ルスラン将軍。悪いけど、寝込みを襲わせてもらったんだ」
「間抜けなもんだ。常勝将軍と名高い英雄様が、戦場で寝ている間に捕獲されるなんてな」

腑に落ちない。眠っていたとはいえ、ごく短い間、浅い眠りについていただけのはずだ。常に戦場に身を置いているルスランには、仮眠中でも隙はない。そもそも、陣所は大勢の味方に守られていたはず……。無表情のまま二人を睨んでいたが、呉麗に心の内を見透かされていた。

「困惑しているようだね。無理もないさ。……黒藍(こくらん)」

呉麗が呼びかけた瞬間、彼の後ろに人影が増えた。真っ黒の道服を着て、口元を黒い布で覆った黒髪の少年。まだ14、5歳に見えるが、瞳には光がない。目の前に現れるまで、気配は全くなかった。

「……ニンジャか」

噂には聞いていた。星辰同盟には隠密行動を専門とする忍びの者達が存在すると。

「ちょっと違うね。彼は忍者道士。忍者でもあり、道士でもある。特に、相手を操る術に長けていてね」

呉麗が目配せすると、少年がルスランの頭に手をかざした。
ルスランが自然と呉麗の足元に這い寄り、その靴を丁寧に舐め始める。舐め終わってから、はっとしたように唾を吐き、呉麗と黒藍を睨みつけた。顔から上だけは自由に動かせるらしい。傍から見ていた呉刻が腹を抱えて笑う。

「あっははは、間抜けだな、ルスラン。お前は陣所に侵入したこいつの気配に気付かず、眠ったまま操られて自分の足でノコノコやって来たってことだ」

ルスランは歯噛みした。東の忍びを甘く見ていた。油断した自分への怒りもあるが、相手のやり方も気に食わない。

「将軍が二人も出てきて、やることがこれか。武人なら正々堂々戦で勝負しろ。子ども一人送り込んで、自分たちは高みの見物とは、恥ずかしいと思わないのか」

双子の将軍はルスランをあざ笑うだけだったが、意外にも黒藍が激昂した。

「呉麗様を馬鹿にするな!」

少年が目を見開くと同時に、ルスランの体中に痛みが走った。脳に直接干渉されているのか、歴戦のルスランでも耐えられる痛みではなかった。白目を剥いて悲鳴を上げ、それでものたうち回ることはできない。黒藍に体の自由が奪われており、痛みに喘ぎながらも、呉麗の足元で土下座と拝跪を繰り返す。兄弟はそんなルスランを指差し、肩を組んで笑った。

「子ども一人にやられてこの有様、お前こそ恥ずかしくないのか」

「情けないね。将軍ともあろう者が最前線で駆け回るなんて、短慮がすぎる。戦の有りようも変わったんだよ。敵兵千人を殺すより、敵将一人を潰すべし。これが今の常道。聞いてないのかい?」

朦朧とするルスランの脳裏に、ラディアンの顔が浮かんだ。ルスランの眉が吊り上がる。敵も味方も下衆ばかりか。こんな奴らに負けるわけにはいかない。鋼の精神力で痛みを堪え、双子を睨み据える。

「へぇ。まだ抵抗するのか」

弟がひゅうと口笛を吹く。兄はルスランの顎に手をあて、至近距離から目を合わせた。

「ルスラン将軍。これが最期の忠告だ。おとなしく投降すれば、客将として迎え入れる用意がある。だが断れば、人として最低の末路が君を待っている」

ルスランは呉麗の顔に痰を吐きかけた。

「武人を舐めるなよ。小便臭いガキども」

呉麗はゆっくり立ち上がり、逆上する黒藍の頭を優しく撫でた。

「殺しちゃだめだよ、黒藍。ここからが本番だ。僕らが受けた屈辱を、数万倍の恥辱に変えて彼に与えよう」

にっこり笑う呉麗の隣で、呉刻が呆れたように嘆息する。

「終わったな、ルスラン。兄兄(あにじゃ)を怒らせたらどんな目に遭うか。せいぜい、正気を失う前に自分の愚かさを悔やんでおくことだ」

ルスランに恐怖の色はない。輝く銀髪の下で、碧眼を凛々しく光らせる。

「俺はお前達のような卑怯者には屈さない。すぐに殺さなかったこと、後悔するんだな」

「ふふふ。いいね、その顔。これが半刻後にはどうなっているか楽しみだ。それじゃあ、さようなら、ルスラン将軍」

呉麗が手を振って別れを告げる。直後、黒藍がルスランの頭上に屈み込み、その頭に両手を置いて、何事か唱え始めた。

ルスランの意識が途切れる。

途切れる寸前まで、若く美しい英雄は、敵を睨み続けていた。