無能OTOSHI~豚兄弟伝~ ※

魔王・遠呂智によって支配された異世界。
魔王軍と英雄たちの争いは、人類の優位のうちに佳境に入っていた。
蜀漢の若き英傑、張苞と関興は、その抜群のコンビネーションで並外れた活躍を見せていた。兄貴分の張苞は勇猛で闊達、常に先陣を駆け抜けており、弟分の関興は、その聡明さと冷静さで、張苞を支えながら勇戦する。息の合った2人の戦いぶりには、仙界の仙人たちも一目おいていた。
そして今、最終決戦への突破口を開くため、張苞と関興は2人だけで敵の拠点へ先行していた。敵の大将は、牛鬼。猪とも牛ともつかぬ大柄で怪力の怪物だが、その単純な思考回路ゆえに愚鈍な印象が強い。怒涛の快進撃を続ける2人の敵ではなかった。

「いくぞ、関興!あんな豚、手早く片付けてやろうぜ!」
「ああ。張苞と一緒なら、妖魔など敵ではない」

張苞が余裕の表情で武器を構え、関興もいつも通りの無表情でそれに続く。関興の場違いなほど落ち着いた声には、張苞への信頼と強い自信が滲んでいた。

「ブヒヒ…!こいつは喰らいがいがありそうだ。骨ごと噛み砕いてくれよう!」
野性的な凶暴さをむき出しにする牛鬼にも、2人は全くひるまない。
「へっ、ブヒブヒうるせーよ。関興、一気に決めるぞ!」
「ああ。いこう」

2人は同時に地を蹴ると、群れる妖魔たちを蹴散らしながら、牛鬼へ斬りかかっていった。
本当に恐ろしい敵がすぐそばまで迫っていることに気づかぬまま……。

数日後。
消息の途絶えた二人を探し、張苞の妹・星彩と、関興の妹・関銀屏が、道士・太公望と共に、牛鬼の元へたどり着いていた。
2人のことだから心配ない。そう言いながらも、少女達は嫌な予感をぬぐえずにいた。
「なに……あれ?」
銀屏が呟いた。牛鬼を中心に群れる妖魔軍。一様に奇怪で醜い要望をしたその妖魔たちの中に、一見して異質なものが混ざっている。

「ブヒ、ブヒヒ」
「ンゴッ、ンゴッ、ブヒヒー」

他の妖魔たちよりも薄汚れ、異臭をまき散らしながら、鼻声で鳴く二匹の豚。
しかし、その豚は、人間の形をしていた。

「見るな!」

太公望が叫んだ時には、銀屏が悲鳴をあげていた。いつも冷静な星彩も、動揺を隠せずに声をあげる。

「兄…上…?」
「ブヒブヒ、ブヒー!メスだ、メスだー、ブヒャヒャヒャ」

星彩の呼びかけに、発情した奇声で応えた醜い豚。
まぎれもなくそれは、彼女の兄の張苞だった。器具で吊り上げられた鼻は本物の豚さながらで、そこから鼻水をぶら下げ、口からは舌と涎を垂らしている。
白い下衣には大きく黄色い染みができ、尿がポタポタと漏れ出ており、おまけに妹の姿に発情して射精したらしく、さらに股間が黒ずんでいく。

「いや、いやよ、嘘よね、兄上」
「ンゴッ、ブヒヒ、牛鬼さまを守るブヒー☆」

隣にいた豚は、関興だった。張苞と同じく鼻の穴をめくりあげられ、理性のかけらもない目をして、涎鼻水を垂れ流している。相棒と同じく発情して顔を紅潮させ、鼻水の流れ込んだ口内で糸を引きながら、妙に明るい声音で鳴き続ける。
その姿に、いつもの聡明さを重ねることは、もはやできそうにない。

二人ともいつもの武器はどこへやら、牛鬼とお揃いの粗野な棍棒をぶら下げ、数日の間にすっかり汚れた体から悪臭を漂わせている。
張苞と同じく関興もまた衣に尿を染み込ませ、それどころか、二人とも尻のあたりがこんもりと茶色く盛り上がっている。
己の糞尿や涎鼻水の染み込んだ衣服を纏い続けている二人……いや、二匹は、もはや他の豚型妖魔と並べるのも失礼な、汚物と化していた。

「ほんと汚い豚だな……こんなの食ったら腹壊すブヒ」
「ブヒブヒ、酷いブヒ牛鬼サマー」
「酢豚にして食べて欲しいブヒー」

「……敵の術にかかりおったか」
太公望が舌を打った。2人の様子を見れば、敵に操られているのは一目瞭然だ。

「ご明察ー。まぁ、ちょろすぎてお仕事した気にもならないけど」
「妲己……この雌狐め!」
「あら坊や、あなたの見込んだ英雄くんも大したことないわねー。坊やのくせに耄碌したかしら?」

「ブヒーっ!妲己サマー!」
「ブヒーっ!殴ってほしいブヒー☆」

牛鬼の背後から妖艶な女が現れると、二匹の豚はさらに興奮したようで、股間を震わし染みを増やした。

「汚いから寄らないで頂戴。豚さんはそこでクソでも垂らしてなさいよ」
「わかりましたブヒー!」
「もりもり出すブヒっ☆」

2人の尻からブウブウと屁が鳴り響き、しばらくして不快な音とともに、生臭い便臭が広がっていった。下衣がますます黒みを帯びていく中で、二匹は排便の快楽に恍惚としながら、涎や鼻水の糸を垂らしていた。

「もうやめて!こんなの、兄上じゃない!」
「兄上……死んで」

敬服する兄たちのあまりの姿に、銀屏は頭を抱えて戦意を失い、星彩は殺意を露わにしていた。
そんな様子を愉快そうに眺める妲己とは逆に、牛鬼は不快感を隠さない。

「ブヒィ……妲己様。こいつらマジ使えないんですけど。臭いし汚いし、存在自体が豚に失礼ブヒ」
「あら、それはごめんなさいね。もういらないから、ぺちゃんこにして川にでも捨てといて」
「了解ブヒ」

牛鬼は棍棒を振り上げ、片手で鼻をかばいながら二匹の元に近づいていった。

「ええい、使えない豚め。ぺちゃんこにしてやるわ!」
「いえ、私の手で始末をつける。邪魔はさせない」
「こんなの兄上じゃない!張苞さんじゃない!」

戦場が混乱を極める中で、二匹の豚だけは呑気に糞を垂らしていた。だが、このままでは、まもなくこの二匹は牛鬼や妹の手にかかって死んでしまうだろう。

「やむを得ん……」

戦場に光が満ちた。次の瞬間、二匹の豚は棒立ちで糞を漏らしたまま、石へと変じていた。

「これは……」
「あ、兄上っ?」
「ひとまずこれで誰も手出しはできないだろう」

太公望の術で石へ変わっても、その醜さは覆いようもなかった。二匹の全身は薄汚れ、股間は糞尿で黄ばみ、豚面から鼻水をぶら下げ、間抜けな笑みを浮かべている。

「こしゃくな」

牛鬼が棍棒で張苞を叩きつけたが、棍棒の方が木っ端微塵に砕けてしまう。

「今はどうにもできん。一度引くぞ」
「……なんてことなの」
「兄上、兄上ぇっ」

泣き叫ぶ銀屏を二人がかりで抱え、太公望らは戦場を離脱した。
あとには、頼りない陽光に鈍く輝く、二体の醜い豚の石像だけが残されていた。

「ふふ、まぁいいわ。せいぜい利用させてもらうから」

牛鬼の傍らでことの顛末を眺めていた全ての元凶、妲己は、臭いと奇声のなくなった像に近づき、両手で二人の頬をなでた。

「まだ意識は残っているようね。このままで理性だけ元に戻してあげるわ。せいぜい苦しみなさい」

翌日から、妖魔軍と英傑群の勢力範囲のちょうど端境に、2体の石像が晒された。
かつて張苞、関興と呼ばれた英雄の変わり果てた姿に、人間側の兵士たちは愛想をつかし、逃亡するものも後を立たなかった。星彩、銀屏はじめ、張苞と関興の親兄弟たちもすっかり平静さを失い、人類は戦線の後退を余儀なくされる。

「……全能たる私ゆえの見込み違いだな。他者の非力さに理解が足りなかったようだ」

苦々しく吐き捨てて、太公望も陣を払った。滑稽な豚人間の石像として佇む二人が人間に戻れる日は、近くはない。だが、二人の意識だけは、すでに人間に戻っていた。

(殺してくれ……ぺちゃんこにしてくれ……)
(張苞……助けてくれ……)

雨晒しになり、石像の汚れが増していく。
二人の声は、もう誰にも届かなかった。

豚兄弟伝 完